日本の製造業にアジャイルの逆輸入-SAFe for HardwareとAI活用の最前線

2026年3月10日14:00|AD
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日本の基幹産業である製造業が、いま大きな転換点を迎えている。不確実性が高まる中、生成AIをはじめとするテクノロジーが急速に進化し、従来の計画主導型のマネジメントでは、グローバルな競争力を維持することが難しくなってきた。

2026217日に東京で開催されたセミナー「製造業におけるビジネスアジリティの加速 ~SAFe for Hardware日本語版スタート × AIで競争力を強化~」では、こうした課題に対する具体的な知見とロードマップが共有された。Scaled Agile-JapanTDCソフトの共催による本イベントでは、製造業特有の制約を乗り越えるためのフレームワークである「SAFe for Hardware」の日本語版ローンチと、AIを競争力に変換するAI-Nativeな組織づくりについて議論が交わされた。本レポートでは、各セッションで語られたインサイトと、日本の製造業が失われた競争力を取り戻すための実践的なロードマップを紹介する。

アポロ計画に学ぶ-ハードウェア開発に学習サイクルを

 基調講演に登壇したのは、Scaled AgileのメソドロジストでありSAFeフェローであるDr. Harry Koehnemann(ハリー・コーネマン)氏である。コーネマン氏は、航空宇宙や防衛、自動車などの複雑なサイバーフィジカルシステム開発において、長年にわたり技術支援を行ってきた経験を持つ。講演では、ハードウェア領域におけるデジタル技術の破壊的変革(ディスラプション)と、学習サイクルを加速させるためのリーン・アジャイルなアプローチが示された。

 冒頭でコーネマン氏は、1960年代のアポロ計画を例に挙げ、巨大なプロジェクトがいかにして成功を収めたかを解説した。ジョン・F・ケネディ大統領による「月への到達」という目標は、決して1回の巨大な飛躍によって達成されたわけではない。マーキュリー計画やジェミニ計画といった一連のプロジェクトを通じて、軌道投入やドッキング、宇宙空間での生活といった小さな学習のステップを積み重ねた結果である。コーネマン氏は、不確実性の高い環境においては、要件を事前にすべて定義するのではなく、知識獲得に必要な作業を細分化し、インクリメンタル(段階的)に学習と検証を繰り返すことが不可欠であると説いた。

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Scaled Agile メソドロジスト SAFeフェロー
SAFe Practice Consultant-T(SPCT) Dr.Harry Koehnemann

 現代の製造業においては、デジタル技術の進化がこの学習サイクルを劇的に加速させている。コーネマン氏は具体的な企業の事例として、SpaceXとゼネラルモーターズ(GM)の取り組みを紹介した。SpaceXはロケットの打ち上げを年単位ではなく週・月単位のペースで実行し、世界最大の金属3Dプリンターを用いて現場で部品を製造しながら学習を繰り返している。またコーネマン氏によれば、GMは仮想環境での製品テストやデジタルツイン技術を活用することで、通常ならば6年程かかるハマーEVの開発期間をわずか2年に短縮することに成功した。これらの実績は、ハードウェアは変更が困難で時間がかかるとされてきた従来の常識が、デジタルシミュレーションやモジュール式生産セルといった技術によってソフトウェアのように迅速な変更と学習が可能になっていることを如実に示している。

 学習を加速するためには、組織のあり方も変革しなければならない。コーネマン氏は、機能別のサイロ化された組織が引き継ぎと遅延を生み出し、コミュニケーションの停滞を招いていると指摘した。その解決策として、顧客に届ける価値を軸に、働き方や協働体制を整えるアプローチの重要性を強調した。 ハードウェアやソフトウェア、品質保証など、製品開発に必要なすべてのスキルを持つメンバーをひとつのチーム(アジャイルリリーストレイン)に集約し、エンドツーエンドのソリューションを頻繁に統合することで、品質の向上とリスクの低減が実現できると語った。

 コーネマン氏の講演は、ハードウェア開発にアジャイルを適用することの難しさをデジタル技術の進化で乗り越えられるという希望を示すものであった。長大なリードタイムを前提としてきた日本の製造業にとって、デジタルツインや仮想環境でのテストを活用して学習を早期化(シフトレフト)するという考え方は、品質を犠牲にすることなくスピードを劇的に向上させるための強力な武器となる。SAFe for Hardwareという体系化されたフレームワークは、部門間の壁を取り払い、経営陣から現場のエンジニアまでが同じ目的に向かって協働するための共通言語として機能するはずだ。

DXに取り組む大企業の6割が成果を出せない理由と、AI-Nativeへの道筋

 続いて、TDCソフト株式会社の執行役員フェローの上條英樹氏が登壇した。上條氏は、製造業の競争力を高めるビジネスアジリティ改革と題し、日本企業が直面しているDXAI導入の現実的な課題と、その打開策について語った。

 上條氏はまず、多くの日本企業がDXAIの取り組みにおいて概念実証(PoC)止まりに陥っている現状を指摘した。IPADX白書2023」によれば、従業員1,001人以上の大企業の実に94.8%DXに取り組んでいる。しかし取り組みの拡大とは裏腹に、成果を出せている企業は日本では約6割にとどまり、米国の89%と比較して大きな差がある。上條氏はこの現実を受け、多くの企業がAIDXの取り組みにおいてPoC止まりに陥り、導入から3カ月以内に形骸化してしまう「実行の壁」に直面していると指摘した。

その失敗要因として上條氏は、目的が不在のままAI導入自体がゴールになっていることや、AIを何でも一瞬で解決できる魔法の杖のように過大評価していることを挙げた。さらに、不適切なゴミデータの蓄積や、仕事を奪われるという現場の拒絶反応、AIがもっともらしい嘘をつくハルシネーションの放置といった具体的な課題も、プロジェクトを停滞させる大きな要因となっていると分析した。

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TDCソフト 執行役員 フェロー上條英樹氏

 企業におけるAI活用には、大きく分けて3つのステージが存在する。第1ステージは従業員が個別にツールを利用する個人の効率化、第2ステージは特定部門の業務フローにAIを組み込む部門・プロセスの高度化、そして第3ステージがAIを前提とした新しいサービス開発や経営判断を行う事業・経営の変革である。上條氏は、日本の多くの企業がまだ第1ステージに留まっているとし、真の競争優位性を確立するためには、第3ステージであるAI-Nativeへと組織を進化させる必要があると強調した。

 AI-Nativeとは、既存の業務プロセスにAIを単に付け足すアドオン(Add-on)ではなく、AIが機能することを前提に業務フローそのものを根本から再構築するリデザイン(Re-design)の概念である。急速な技術進化(E)、業界全体のトランスフォーメーション(D)、AIの創造的なケイパビリティ(D)、予想できないシステムの振る舞い(G) という4つの力(EDGEフレームワーク)を組織に取り込み、人間中心のAI文化を醸成することが求められる。上條氏は、TDCソフトがScaled Agile, Inc.と国内初となるAI-Nativeパートナー契約を締結したことを発表し、アセスメントからトレーニング、変革の伴走支援に至るまで、企業のアジリティ向上を包括的にサポートしていく姿勢を示した。

 コンサルタントとして現場のリアルな課題に日々向き合っている上條氏の指摘は、多くの担当者にとって耳の痛い、しかし極めて本質的な内容であっただろう。AIはあくまで手段であり、それ自体が価値を生み出すわけではない。テクノロジーを導入する前に、誰がどの業務をどう変えるかという目的を明確にし、業務プロセスそのものをデザインし直すというアプローチは、AIブームに翻弄されがちな現在のビジネス環境において、企業が道を誤らないための極めて重要な指針と言える。

パネルが語る変革の起点-暗黙知×AIで競争優位を作る

 イベントの後半では、NTTデータ先端技術の平岡正寿氏をモデレーターに、TDK株式会社の執行役員であるロシャン・タプリヤ(Roshan Thapliya)氏、そしてコーネマン氏、上條氏とScaled Agile ストラテジックアドバイザー SAFeフェロー SAFe Practice Consultant-Tの中谷浩晃氏が参加してパネルディスカッションが行われた。

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NTTデータ先端技術 コーポレート・エグゼクティブ デジタルビジネス事業本部
テクノロジー&ソリューション事業部長 SAFe Practice Consultant 平岡正寿氏

 冒頭で中谷氏は、アジャイルと日本の製造業の深い縁について触れた。リーンはトヨタ生産方式がベースであり、アジャイルの起源とされる「ザ・ニュー・ニュー・プロダクト・デベロップメント・ゲーム」という論文も、元は日本企業の製品開発の知恵を分析したものである。中谷氏は、アジャイルはもともと日本にあった考え方であり今回のSAFe for Hardwareはその知恵を現代に合わせて体系化したものの逆輸入であるとの見解を述べ、日本の製造業が持つ本来の強みを改めて強調した。

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Scaled Agile ストラテジックアドバイザー SAFeフェロー
SAFe Practice Consultant-T (SPCT) 中谷浩晃氏

アジリティとは速さではない-TDKの視点が語る本質

 ディスカッションの最初のテーマは、製造業におけるアジリティの再定義だ。TDKのタプリヤ氏は、アジリティとは単に速く動くことではないと切り出した。同社が世界中に10万人の従業員を抱え、14000点以上の製品を展開する極めて多様な組織であることを紹介しつつ、真のアジリティとは間接業務をいかに減らし現場の専門家たちが自ら改善できる環境を作ることだと述べた。また、次世代製品に向けた材料やデザインの実験を先んじて行うことも、製造業にとっての重要なアジリティの形態であると指摘した。

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TDK 執行役員 兼 経営システム本部長 工学博士 Roshan Thapliya

 これに対しコーネマン氏は、スピードと品質はトレードオフではないと応じた。データによれば、最も速く製品を届ける組織こそが最も低いエラー率を実現しており、品質をプロセスの中に組み込むことで、エンジニアが安心して迅速な変更を行えるようになると強調した。

AIは魔法の杖ではない。人間の判断が不可欠な理由

 次に、AIが具体的に何を加速するのかという議論に移った。タプリヤ氏は、TDK2年以上前から独自のDXフレームワークであるTDK-Edgeを構築し、全社的にAIエージェントを活用している事例を紹介した。同氏は、AIはもう使わざるを得ない前提条件であると述べた。大規模言語モデル自体が汎用化していく中で、AIを単なるツールとして使うだけでなく、自社の専門性やデータといかに結びつけるかが価値創出の鍵になると指摘した。

 中谷氏は、経営層が抱きがちな誤解を指摘した。ある経営者にAIとは何かと尋ねた際、ドラえもんの四次元ポケットのように何でも解決してくれる道具という回答が返ってきたエピソードを紹介し、AIを魔法の杖と見なす危うさを説いた。仕様を定めてAIに速く作業させることはできても、その仕様やAIの出力結果が本当に正しいのかを判断するのは依然として人間の重要な役割であると語った。

さらに中谷氏は、AIはインターネット上のデータから類推するがお客様が本当に欲しい不満やニーズはインターネットには載っていないと指摘した。その具体例として、乾燥機からフィルターを無くした新製品が出た際、埃が別の場所に溜まるという新たな不満が生じたが、そうした感覚的な不満は必ずしもネットには書き込まれないためAIには気づくことができないというエピソードを紹介し、顧客の感覚的な痛みを理解し判断するのは人間の役割であると強調した。

 タプリヤ氏も人間の役割の重要性に同意し、日本の製造業には表現できないノウハウである暗黙知が多く存在すると指摘した。これを保護しながら、自社のデータや専門知識とAIを掛け合わせて独自の強みを生み出すことが不可欠であると語った。

上條氏も、AIのハルシネーションや情報漏洩リスクへの現実的な対策として、あえて学習させないローカルな生成AI環境を構築し、検索拡張生成(RAG)などと組み合わせて回答の品質を一定に保つといった現場レベルの実践的な工夫を紹介した。その上で、AIに一部の判断を任せることはできても、最終的に責任を持った判断を下すのは人間であると補足し、AIと人間それぞれの役割を明確にするHuman-in-the-loopの重要性が浮き彫りになった。

まず組織の型を変える。登壇者が示す変革の第一歩

 最後に、現実的なロードマップについて議論された。コーネマン氏は、最初のステップとして、機能サイロから価値の流れに沿って協働できる体制を整えることを挙げた。組織が価値中心の働き方に向けて整っていなければ、どれほど優れたツールを導入してもコラボレーションは生まれないからだ。

 上條氏は、コンサルタントの視点から既存のソフトウェア開発の仕組みのなかにハードウェア特有の要素を追加していくロードマップを提案した。さらに、ハードウェアはソフトウェアと異なり設備等の投資規模が大きくなるため、費用対効果を意識した組織的な判断プロセスを組み込むことが不可欠であると補足した。

 中谷氏は、よりシンプルにまずは学ぶことと試行することを提言した。リスクを恐れて完璧な準備をしてから始めるのではなく、幼稚園児がマシュマロチャレンジで試行錯誤を繰り返すように、小さく始めて失敗から学ぶラーニングモデルを組織に取り入れるべきだと説いた。

 タプリヤ氏は、TDKにおける実体験に基づき、ビッグピクチャーを描きリスクを取ってでも前進する特化型チームを作ることの重要性を語った。AIはもう使わざるを得ない波であると捉え、特定の問題解決やAI基盤の開発に専念するSWATチームをインドのバンガロールも含めて組成し、リスクを取って前進してきたという実行力のエピソードを披露した。そして、日本の製造業の強みである暗黙知や経験値を、いかにデジタルデータと組み合わせてAIに学習させるかが、独自の価値を生む鍵になると総括した。

 パネルディスカッションの締めくくりとして、登壇者から参加者へ向けた最後のメッセージが送られた。中谷氏は日々の業務に追われると見失いがちだがその先にいる顧客に渡す価値が何なのかを常に考え続けることが重要だと強調した。上條氏は、AIの発展による変化を恐れるのではなく、むしろAIがサポートしてくれるチャンスと捉え過度に構えずにチャレンジしてほしいと参加者にエールを送った。

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 パネルディスカッションを通じて共有された最も重要なメッセージは、ビジネスアジリティの本質は顧客価値への集中にあるということだ。AIは強力な加速装置にはなるが、どの方向にハンドルを切るかを決めるのは、あくまで顧客の痛みを知る人間である。

 SAFe for Hardwareという組織の型と、AI-NativeというAI前提の思考を組み合わせることで、日本の製造業は、長年培ってきた品質へのこだわりを活かしつつ、不確実な世界に対応できる俊敏性を手に入れることができる。

 DX疲れやPoCの停滞に悩む企業にとって、本イベントで示された価値を中心に組織を編み直しAIをプロセスの中心に据えて学習サイクルを回すというアプローチは、失われた競争力を取り戻すための確かなロードマップとなるだろう。TDCソフトが提供を開始する伴走支援サービスは、まさにその第一歩を踏み出すための強力なパートナーとなるはずだ。

提供:TDCソフト株式会社