富山市の印刷会社が挑んだデジタルによるビジネスの「拡張」 社内の風土や文化が変わった

2025年3月13日13:55|インサイト本多 和幸
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 とうざわ印刷工芸は、富山市で商業印刷を中心とした印刷業を営む、1947年創業の老舗だ。ペーパーレス化が進み紙媒体の需要減が続く中、新型コロナ禍により印刷需要はさらに大きく減少した。主力事業における強力な逆風を乗り越えるために同社が取り組んだのは、印刷業で培ってきた技術とデジタルテクノロジーの融合による提案の差別化だった。収益面での成果はこれからという部分はあるものの、ビジネスモデルや社内風土、文化の変革につながり、持続可能な経営への道が見えつつある。

ダウントレンドの市場にコロナ禍が追い打ち

「紙への印刷業が主力というか、もうそれだけをやってきた会社です」。とうざわ印刷工芸代表取締役の東澤善樹氏は自社をそう表現する。印刷産業のビジネス規模は1990年代をピークに長期的なダウントレンドが続いているが、同社も近年の事業環境には強い逆風を感じている。

「地方ならではの事情かもしれませんが、2000年代は印刷需要がまだまだ伸びていて、08年のリーマン・ショックでもさほど大きな影響を受けず、まだまだ市場は伸びていく感触がありました。しかし2010年代に入ると徐々に下がり始めました」

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とうざわ印刷工芸代表取締役の東澤善樹氏

 2010年代に会社案内や広報誌、カタログなどの電子化が一気に進み、PDFで公開、配布する顧客が珍しくなくなった。同社は印刷物のデザインやDTPも手がけているが、データのみの納品という案件が増えている。印刷を伴う案件でも、印刷部数は従来の水準と比べて大きく減っているという。

 そこに追い打ちをかけたのがコロナ禍だった。とうざわ印刷工芸にとって、観光案内やイベント関連のパンフレット、ポスターの印刷は主要ビジネスの一つだったが、その需要が突如ほぼゼロになった。2020年の4月には、印刷の現場もデザインチームも、稼働が止まってしまったという。

「突然やることがなくなってしまいましたから、じゃあどうしようかということで、ソーシャルディスタンスを呼びかけるシールを作ってみたり、富山県内の風景画像など、当社の資産を使った商材を販売するオンラインショップを立ち上げたりしました。ただ、お客様には喜んでいただけましたけど、損失をカバーできるようなビジネスにはなりませんでしたね」

 コロナ禍以前の売上高は7億円を超えていたが、コロナ禍1年目には約6億円まで落ち込んだ。しばらくは頭を抱える日々が続いたという。

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オンラインショップの「とうざわ商店」

紙媒体で培った強みとデジタルの利便性を融合してピンチを乗り切る

 一方で、苦しい状況ではあったが、オンラインで新たなビジネスに挑戦してみたことで、デジタル技術を使った新しい価値の創出が現状打破のキーになるのではという雰囲気が社内に醸成され始めた。そんな折にクラウドサーカスの営業担当者から東澤氏にアプローチがあり、「CloudCIRCUS for creative」を知った。CloudCIRCUS for creativeは、電子ブック作成ツール「ActiBook」やARコンテンツ作成ツール「COCOAR」(専用アプリから利用できるARコンテンツを作成)、「LESSAR」(Webブラウザで体験できるARコンテンツを作成)にMAツールやチャットボットツールなどを組み合わせた印刷会社、広告代理店向けのデジタル化支援パッケージだ。

「(クラウドサーカスの営業担当者と)いろいろな話をしたんですが、特に惹かれたのが、単にデジタル化するだけのツールではなくて、紙媒体で培ってきた強みとデジタルの利便性を融合できるツールだという点です」(東澤氏)

 東澤氏によれば、もともと同社はデザイナーをはじめとする制作チームのクリエイティブ力に強みを持っていた。電子ブックは紙媒体の制作データをそのまま活用できることに加え、読者の閲覧ログも取得できるため、コンテンツの検証や改善にそのデータを役立てられる。ARにしても、印刷物と連動したデジタル体験を実現できるところに大きな魅力を感じたという。紙からデジタルへの「移行」ではなく、紙を「拡張」してデジタル技術と融合させることで顧客への提案の価値を高め、売上減をリカバリーする。そうした発想の下、CloudCIRCUS for creativeの採用を決めた。

顧客とのコミュニケーションの在り方が大きく変わった

 CloudCIRCUS for creativeの導入にあたってはクラウドサーカスの研修を受けたが、制作チームだけでなく、他部署でも関心のある社員は自由に参加できるようにした。変革の先駆けとなったのは営業チームで、電子ブックやARコンテンツのサンプルを自分たちでつくり始めたという。さらに、それまで会社支給の携帯電話はフィーチャーフォン(いわゆる「ガラケー」)だったが、COCOARで作成したARコンテンツはフィーチャーフォンでは利用できないため、営業チームから東澤氏に対して「せっかくつくったサンプルをお客さんに見せられないのでスマートフォンに代えてほしい」と強い要望があり、営業チームには全面的にiPhoneを導入した。こうした社内の反応を見て、「これはいけるのではと手応えを感じました」と東澤氏は振り返る。

 導入1年目は「デジタル単体の案件では目標の数字までは少し届かなかった」(東澤氏)ものの、印刷物とデジタルコンテンツを組み合わせた「印刷物+デジタル」事業の売り上げは目標の1.5倍を記録し、順調な滑り出しを見せた。特に電子ブックの提案は学校案内や製品カタログの制作案件で広く受け入れられ、同社の新たな強みになっているという。

「電子ブック化することで、どのページがどれくらい見られているかなどを定量的に分析して、コンテンツの改善に役立てられるようになります。以前は印刷物が完成したら納品して、請求して、入金があったらお客様とのコミュニケーションもしばらく間が空いていましたが、当社の営業が閲覧ログの報告がてらお客様を訪問して改善策を提案することも増え、継続的な関係づくりに役立っています。従来は相見積もりだったのが、指名で仕事をいただくことも増えました」(東澤氏)

 例えば学校案内であれば、部活動のページの閲覧数が増える時期、授業のカリキュラムに関する閲覧が増える時期が異なるなどの傾向が見えてきたケースもあったという。より戦略的な広報活動の相談相手として学校からの信頼を得ていくことも可能になった。

 コロナ禍のステイホーム期間には、北日本新聞社のARスタンプラリー企画でARのマーカーを組み込んだパンフレットを制作。利用者は、Web上にPDFで公開されたパンフレットのマーカーをスマートフォンで読み込むことで「ぶり・ノーベル街道」(国道41号の富山から高山までの区間。江戸時代にブリを飛騨・信州に運んだルートであり、同ルート周辺地域はノーベル賞受賞者5人にゆかりがある)沿線でバーチャルな記念撮影やクイズ、動画コンテンツを楽しめるという企画だ。「当社としては新しい種類の案件で、これをきっかけに、お客様から従来の印刷以外の相談を気軽に持ち掛けられるようにもなりました」と東澤氏は話す。

MAツールも導入し潜在的な顧客ニーズの掘り起こしも

 ただし、コロナ禍の収束後はリアルなイベントも復活し、ARコンテンツなどの需要は落ち着いた。デジタルを梃子にした成長は踊り場に来ている。それでも顧客の潜在的なニーズはまだまだ大きいと東澤氏は見ている。そうしたニーズの掘り起こしと、同社の提供価値の幅広い周知にもデジタルを活用すべく、クラウドサーカスのマーケティングオートメーションツール「BowNow」も導入した。従来、コーポレートサイトやオンラインショップ、メールマガジン、SNSなどは個別に担当者が運用していたが、BowNowを核に、より戦略的なオンラインでの顧客接点構築に取り組んでいる。現在、全社売り上げに占めるデジタルを含む案件の割合は数%だが、早期に2~3割まで引き上げたい考えだ。

 また、CloudCIRCUS for creative導入を契機としたデジタル領域へのビジネスの拡張は、売上減のリカバリー策となっただけでなく、人材採用や社内文化の変革にも寄与しているという。導入時の営業チームの動きは象徴的だが、ボトムアップ型で自社の新しい提供価値を創出しようという動きが活発化している。例えば、AR案件の受注をきっかけに、同社が富山県内各地で撮影したオリジナル写真を活用して制作しオンラインショップで販売しているカレンダーにARコンテンツを埋め込むというアイディアも現場から出てきた。

「クラウドサーカスのアドバイスもあり、CloudCIRCUS for creative導入時に社内でアイデアコンテストをやったのですが、50件ほどのアディアが集まりました。社内で面白いことをやってみたい人はたくさんいるんです。そういうモチベーションを生かすことがビジネスの新しい成長につながるはずですし、CloudCIRCUS for creativeやBowNowをその基盤として存分に活用していきたいと考えています」

 さらに、近年ではデジタルネイティブ世代を積極的に採用しており、学生時代に情報処理を学んだ人材も入社しているとのこと。地方の中小企業の大きな課題であるデジタル人材の採用という点でも、ビジネスモデルや社内風土の転換が追い風になっている。