ラクスが実践する「クラウドネイティブ・オンプレミス」 コスト効率と安定の両立へ

2025年12月23日16:00|インサイト谷川 耕一
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 2000年に創業したラクスは、「楽楽精算」や「楽楽明細」など、企業の業務効率化を支援するクラウドサービスを多数展開している。同社は創業以来、高い成長率を維持し、2025年3月期の連結売上高は489億円に達している。多くの顧客が日々の業務で利用する同社のサービスにおいて、システムインフラの安定性は生命線だ。

 一般的に拡張性や運用管理負荷の観点からパブリッククラウドへの移行が主流となる中、ラクスはあえて自社でインフラを保有・運用する道を歩み続けている。昨今は、パブリッククラウドの利用料高騰や円安の影響で「クラウド回帰」を検討する企業が増えているが、ラクスは回帰ではなく、当初から「オンプレミスの経済性」と「クラウドの機動力」を融合させている。中心にあるのが「クラウドネイティブ・オンプレミス」という独自コンセプト。なぜラクスはこの戦略を取るのか。コスト最適化とサービス品質の両立、そしてそれを支える技術と組織文化について紐解く。

急成長するSaaSビジネスを支えるインフラへの高度な要求

 ラクスは経費精算システム「楽楽精算」や電子請求書発行システム「楽楽明細」など、バックオフィス業務を効率化するSaaSを数多く提供している。特に主力の楽楽精算は累計導入社数2万社を超え、楽楽明細も1万4000社以上に利用されている。これらのサービスは企業間の金銭授受に関わる業務や取引先とのやり取りを担うため、システムダウンは許されないミッションクリティカル領域にある。

 現在、同社のビジネスは順調に拡大しており、それに伴いトランザクション量も増大している。楽楽明細では月間の請求書発行などで膨大な処理が行われており、インフラへの負荷も高まっている。こうした状況下でインフラ部門に課せられたミッションは、コストを最適化しつつ、安定したサービスを提供することだ。

パブリッククラウドの技術的恩恵をオンプレミスで享受する

 ミッションクリティカルなサービスインフラを実現するためにラクスが掲げているコンセプトがクラウドネイティブ・オンプレミスだ。これは物理サーバーを自社で保有するオンプレミス環境において、パブリッククラウドで標準的に使われている技術やアーキテクチャを採用するアプローチだ。ラクスでインフラ組織を統括する開発本部 インフラ開発部 副部長の永易健史氏は次のように語る。

「オンプレミスは自社でサーバーを持つということですが、クラウドネイティブというのはパブリッククラウドなどの技術的恩恵をオンプレミスで受けることを想定しています。具体的にはコンテナ技術や、コンテナをマネージメントするKubernetes、インフラの標準化を進めるためのInfrastructure as Code(IaC)、そして可観測性を高めるオブザーバビリティなどをオンプレミス環境で実装しています」

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ラクス 開発本部 インフラ開発部 副部長 永易健史氏

 一般的にサービスの規模が拡大すれば、拡張性の高い、AWSなどのパブリッククラウドへの移行が検討される。ラクスでも過去にAWSへの移行を検討した時期があった。しかし、コスト面や性能面を詳細に比較検討した結果、オンプレミスに優位性があると判断した。

「オンプレミスは自分たちで作らなければなりませんが、ハードウェア選定からネットワーク構築までを自社で行い、リソース使用率をある程度最適化すると、クラウドよりも大幅にコストを抑えられるのです」と、永易氏は述べる。規模の拡大がそのままコスト増に直結しないよう、自社で構造をコントロールできる点に、オンプレミスの圧倒的な合理性があると強調する。

 ただしラクスでは、オンプレミスに固執しているわけではない。機能要件やコストメリットによっては、一部でパブリッククラウドを活用している。

OSS活用とベンダー製品のハイブリッド戦略

 クラウドネイティブ・オンプレミスを支える技術スタックでは、ラクスはオープンソースソフトウェア(OSS)を積極的に採用している。KubernetesやTerraform、Ansibleといったツール群は、エンジニアがコミュニティを通じて情報を得たり、ソースコードレベルで挙動を確認したりできるため、技術力の高いエンジニアチームにとっては強力な武器となる。

 一方で、セキュリティやデータの保全性に関わる重要な部分には、ベンダー製品も戦略的に導入している。たとえば、昨今脅威となっているランサムウェア対策として、書き換え不可能なイミュータブルストレージなどのストレージ製品を採用している。

「技術的にOSSだけでは対応が難しい領域や、ベンダーのサポートが必要な領域は、コストと機能のバランスを見極めた上で製品選定を行っています。特にストレージやランサムウェア対策など、求められる技術レベルが高いものや、社内の技術だけではどうにもできないものは、ベンダー製品を使っています」(永易氏)

 セキュリティ対策は、オンプレミス版ゼロトラストの概念も取り入れている。多要素認証(MFA)や権限分離を徹底し、侵入を防ぐ対策を行うとともに、万が一侵入された場合でも、被害を最小限に抑え、迅速に復旧できるバックアップ体制を構築している。

進む運用体制の高度化、BCP対策も強化

 かつてはハードディスクの故障対応などでエンジニアがデータセンターに駆けつけるケースは珍しくなかった。しかし現在は、サーバーの仮想化とSSDへの移行が進み、物理的な故障率は大幅に低下している。さらに、Kubernetesによるコンテナ運用やIaCによる自動化が進んだことで、障害発生時も自動復旧する仕組みが整いつつある。

「社内エンジニアによる24時間365日の監視体制は敷いていますが、夜間にエンジニアがデータセンターへ緊急対応に向かうような事態は、ここ1年ほど発生していません。物理的な障害であっても、冗長化された構成によりサービスへの影響は軽微で済み、運用負荷は大きく下がっています」(永易氏)

 また、BCP(事業継続計画)の観点からも対策を強化している。データセンター自体が被災するような大規模障害に備え、遠隔地の拠点やクラウドのリージョンを活用した復旧体制を整備している。特筆すべきは、単にマニュアルを整備するだけでなく、実際にバックアップからデータを戻し、アプリケーションが正常に稼働するかを確認する復旧訓練を定期的に実施している点だ。

 ラクスでは、全てのサービスに対して一律のコストをかけるのではなく、サービスごとのビジネス規模やクリティカル度合いに応じて、インフラの冗長構成レベル(サービスレベル)を調整している。

 例えば主力サービスである楽楽精算のように、停止すると顧客企業の業務に甚大な影響を与えるサービスについては、二重・三重の冗長化を行い、極めて高い可用性を確保している。売上規模や利益率とのバランスを考慮し、過剰な投資にならないよう、リソース使用率を最適化できるオンプレミスの利点を活かし、コスト競争力を維持しているのだ。

インフラエンジニアの育成に注力し継続的改善の好循環を

 このような高度なインフラを運用するには、エンジニアのスキル向上が不可欠だ。ラクスでは、Kubernetesなどの新技術に関するハンズオン形式の教育資料を自社で作成したり、外部の研修を活用したりして、インフラエンジニアの育成に力を入れている。

 また、開発チーム(Dev)と運用チーム(Ops)の連携でも変化が起きている。従来は壁ができがちな両者だが、オブザーバビリティによってシステムの状況を可視化し、共通のデータを見ながら会話することで、相互理解は深まっている。

 今後の展望として、ラクスはクラウドネイティブ・オンプレミスのさらなる高度化を目指している。具体的には、AIを活用したシステム運用(AIOps)の導入や、ゼロトラストセキュリティの強化、そしてGPUリソースのコスト最適化などを掲げている。永易氏は今後のビジョンについて次のように語った。

「自動化をどんどん推進して、運用の負荷を削減できるような設計にしていきたいと考えています。それが実現できれば、メンバーの運用のための工数が減り、学習時間を増やせます。そこで新しい技術を学び、それを小さく始めてより良いサービスの進化につなげていく。そうしたポジティブなサイクルを回し続けていきたいですね」

 技術と人の好循環によって、コスト競争力と高い安定性を兼ね備えたインフラを継続的に進化させていきたい考えだ。