伊藤忠商事のグループ企業としてデザインマネジメントやデジタルマーケティングを展開する伊藤忠インタラクティブは、コロナ禍にフルリモートワークを経験し、その後はリモートと出社を組み合わせたハイブリッドワークへ移行した。この働き方の変化をきっかけに、オフィスの役割を改めて問い直すこととなった。同社はその答えの一つとして、2025年5月に本社オフィスを東京都港区南青山へ移転。ヴィスの支援のもと、客観的なデータ分析と独自の設計思想の採用により、単なる拠点変更ではなく人的資本への投資としてオフィス改革に取り組んだ。その結果、働く環境への評価だけでなく、社員のエンゲージメントや組織文化にも変化が生まれつつある。
伊藤忠インタラクティブは半導体事業からスタートし、44年にわたり事業を転換しながら成長してきた。現在は経営企画部やシステム部などを主な顧客とし、企業のブランディング支援を強みとしている。
同社がオフィス移転の検討を始めた背景には、働き方の変化に対して既存のオフィス環境が合わなくなってきたという課題意識があった。コロナ禍にフルリモートワークを経験し、手作業や開発の多い業務特性から、必ずしも毎日出社しなくても業務自体は遂行できると実感していたという。
一方で、同社のビジネスはコミュニケーションを重視している。クライアント企業のブランドや事業の方向性を共に考え、ワークショップやディスカッションを通じて価値観や課題をすり合わせながらプロジェクトを進める場面が多いからだ。チャットツールなどでは伝わりきらない対面での情報の深さや共感、気遣いといった要素が、組織の創造性を支えている。
こうした中で、コロナ禍以降に週2日出社のハイブリッドワークへと移行するにあたり、社員があえてオフィスに足を運ぶ意味を明確にする必要性が高まっていた。さらに、親会社である伊藤忠商事が早い段階でフル出社へ切り替えたこともあり、グループの方針を踏まえつつ自社の魅力を高める拠点づくりが、グループの経営陣から求められていた。そこで同社は、日常的な情報共有や個人作業ではリモートワークを活用しつつ、ブランドの方向性を議論したり、新しいアイデアを持ち寄ったりする場面はオフィスに集まるという使い分けを明確にする方針を固めた。
具体的な取り組みを進めるにあたって、まずは従来のオフィス環境の客観的な評価を目的として社内サーベイを実施。ヴィスが開発したオフィスや働き方に関するスコアを可視化するプラットフォーム「WORK DESIGN PLATFORM」を活用した。
WORK DESIGN PLATFORMは、働く環境やカルチャーなど多角的な指標を100点満点でスコア化し、業界標準や他社平均と比較分析できるベンチマークツールだ。これを用いて診断したところ、自社の課題が鮮明に見えてきた。たとえば、他部署との交流場所への満足度を示す交流エリアは10.0、クリエイティビティは5.0、自社ブランドの体現度合は8.3と、いずれも低い水準だった。
オフィスへの魅力や愛着度合も21.7、多様な職種の特性を捉えた環境づくりを評価する多様性も6.7にとどまった。駅からのアクセスや周辺の飲食環境などの物理的な不満も重なり、当時のオフィス環境がクリエイティブな組織としての創造性やモチベーション、帰属意識を十分に引き出せていない状態が数値で可視化された。こうした結果を単なる感覚的な不満として片付けるのではなく、経営課題として捉え直したことが、今回のオフィス改革の出発点となった。
新たなオフィスのコンセプトづくりと設計は、外部の専門パートナーとともに進める方針とし、複数のオフィスデザイン会社やコンサルティング会社によるプラン出しのコンペティションを実施した。最大の要件は、自社が事業としても展開している企業ブランディングを、オフィスという場でどう具現化するかだった。コンペでは、不動産関係の会社や内装業者がデスクの配置を中心とした一般的な空間設計を提案する中で、ヴィスは多くの上場企業のオフィスづくりを支援してきた経験を踏まえ、部署間の連携や情報共有の流れなど、組織のあり方まで含めて再設計する提案を行ったという。
伊藤忠インタラクティブ 代表取締役社長の三輪宗久氏は、「提案内容が要件にマッチしていたのは大きなポイントでしたが、それ以上に、ヴィスのプロジェクトを進める体制やメンバーの姿勢を評価しました」と振り返る。自社内にもデザイナーやコピーライターといったクリエイティブの専門職を抱えていることもあり、提示されたデザインプランをそのまま受け入れて施工するだけの関係は望んでいなかった。求めていたのは、自社が描く理想やときに突飛とも思える要望に対し、正面から向き合って議論できるビジネスパートナーだった。
こうした姿勢を象徴するのが、次のようなやり取りだ。たとえば、カフェのようなおしゃれな空間にしたいとの要望に対し、ヴィスは店舗としてのカフェとオフィスにおけるコミュニケーションスペースの違いを明確にし、店舗に最適化した照明では照度が足りず、長時間の業務では疲労につながるといった専門的な知見に基づくアドバイスを行った。顧客の要望にそのまま従うのではなく、専門家としてのノウハウを提供し、一緒に空間を作り上げるチームメンバーとして伴走してくれる姿勢が、パートナー選定の決め手となった。
新たなオフィスづくりの核となったデザインコンセプトが、「Enrich your creativity」だ。これは、最初から完璧に作り込んだ空間を用意するのではなく、あえて「余白」を残すことを重視したものだ。例えば、家具やレイアウト、掲示物などに社員の手が入れられる余地を残し、一人ひとりの感性を刺激することで、自然発生的な共創やイノベーションが生まれることを期待している。
同社には技術者から運用担当者、営業、クリエイターまで幅広いスキルセットを持つ人材が在籍しており、働き方や理想とする環境に対するニーズも多様だ。そのため、余白を持たせつつも初期状態の設計では、客観的なデータに基づいて「全員が快適に働ける環境」を整える方針とした。
オフィスはフリーアドレスを前提とし、明確な役割を持たせた三つのエリアで構成されている。それがオープンスペース、ワークスペース、そしてクワイエットスペースだ。社員がその日の目的や自身の気分に応じて最適な働く場所を自由に選択できるようにすることで、集中、協働、交流という異なる行為が、一つのオフィス内でスムーズに切り替わるよう設計された。
こうしたエリア設計を進めるにあたり、WORK DESIGN PLATFORMによる社内サーベイの客観的なデータを用いることにした。社外のベンチマークと比較しながら課題を整理することで、特定の意見に偏らず、オフィスの最適化を進められたという。
また、同プロジェクトにおいてユニークだったのが、社員に対して新オフィスの具体的なデザインやパース絵を事前に開示しなかった点だ。伝えたのは最低限の座席レイアウトだけで、どのような色調や装飾の空間になるのかは、移転当日に初めて出社した社員の目で確かめさせるサプライズの手法を採った。
これについて三輪氏は、「事前に伝えてもどこまで正確にイメージできるかという点で限界があり、建設的な意見の集約が難しいと考えました」と理由を語る。新しいオフィスに足を踏み入れた社員の多くは、想像以上の変化に驚きつつも前向きに受け止め、自社が新しい方向へと舵を切ったことを肌で実感した。
新オフィスの稼働開始からしばらくして、同社は再びWORK DESIGN PLATFORMを使ってサーベイを実施し、効果を検証した。結果は、多くの指標で想定を上回る改善を示した。まず、働く場所に関する総合スコアであるプレイス満足度は20.3から57.4へと大きく上昇した。交流エリアへの満足度も10.0から60.3に、自社ブランドの体現度合も8.3から69.9に改善した。さらに、クリエイティビティは5.0から43.8へ、オフィスへの魅力や愛着は21.7から67.1へと伸び、新たなオフィス空間が社員の帰属意識を喚起する場へと生まれ変わったことが示唆されている。
オフィス改革の効果は、組織の心理面や文化といった目に見えにくい領域にも及んでいる。エンゲージメントスコアは32.3から46.3に、会社に対する誇りは30.1から50.7に、将来ビジョンへの共感度は19.2から41.1へとそれぞれ大きく伸びた。さらに、組織全体として同じ方向を向いているかという認識を示すスコアも12.3から35.6と3倍近くに上昇しており、オフィス改革が一体感の醸成にも寄与していることがうかがえる。
こうした変化は、同社のこれまでの事業や社風を踏まえても意義が大きいという。もともとはSI事業や地道なシステム運用を主軸とし、社内文化としても保守的な傾向が強かった同社だが、オフィス改革を通じて会社全体として新しい取り組みに挑戦する姿勢が強まってきたと三輪氏は見ている。
現在のオフィスでは、フリーアドレスの導入もあり、部署を超えたコミュニケーションが活発になっている。社内外を交えたイベントもすでに複数回開催されるなど、狙い通りの動きも起きている。
一方で、実際に使ってみることで新たな課題も見えてきた。経理などの管理部門や全日出社のマネージャー層では席が固定化しがちであることに加え、大型モニターや採光条件によって人気の席が偏るといった行動特性が明らかになった。こうした状況を受け、オープンスペースの一部をより業務に適した仕様へと微調整する検討を始めている。
新たなオフィスは、まだ完成形ではない。オフィス改革という大きなチャレンジを通じ、挑戦する組織へと全社のマインドセットを変化させようとしている。生成AIの浸透や動画内製化ツールの進化により、クリエイティブな業務も場所を選ばなくなっている。「だからこそ、人と人とがリアルにつながり、チャットでは補いきれない共感を生み出す場としてのオフィス価値は、相対的に高まっていくはずです」と三輪氏は指摘する。
伊藤忠インタラクティブは、今回のオフィス改革の経験とデータを社内事例にとどめるつもりはない。今後は顧客のコーポレートブランディングを支援する包括的なサービスの一環として、「働く空間の提案」も強みの一つとしていく考えだ。すでに決定している伊藤忠グループの本社移転プロジェクトに対しても、今回蓄積したリアルな知見とノウハウを投入し、グループ全体の企業価値向上に貢献していく。