楽天市場など70以上のサービスを展開する巨大インターネット企業の楽天グループ。同社が抱える3万人以上の従業員の人事を支えるのが、米ワークデイ(Workday)が提供する基幹系ビジネスアプリケーション「Workday」のHCMだ。日本の新卒一括採用にも対応している。ワークデイが9月中旬に米ラスベガスで開催した年次カンファレンス「Workday Rising 2024」で、楽天のHRIS(人事情報システム)担当ゼネラルマネージャーを務めるアレッシア・ディマルコ(Alessia Di Marco)氏が、Workday採用から実装までの"ジャーニー"を振り返った。
楽天グループは現在、世界30の国・地域で70種以上のサービスを展開し、18億人のユーザーを抱える。従業員数は約3万人で、これにほぼ同数(約3万人)の派遣・臨時社員が加わりビジネスを動かしている。日本国外では北米、欧州、中東、アフリカに拠点を置き、4000人以上が7事業部に所属している。
ディマルコ氏は楽天グループの人事ポリシーについて、「ダイバーシティをコーポーレート戦略の中核に据え、イノベーションを生み出す組織をつくろうとしています」と説明する。従業員の国籍は100カ国以上におよび、世界9カ所に研究施設を構え、6000人のエンジニアが研究に励んでいるそうだ。楽天の人事におけるWorkdayの位置付けは「グローバルのHCMおよびインテグレーションのプラットフォーム」だ。
グローバル展開する日本企業の場合、北米で最初にWorkdayを導入して日本に広げるというパターンが多い。楽天も、まずは北米でWorkdayの実装をスタートした。そもそも、Workday採用にはどのような背景があったのか。当時抱えていた課題を、ディマルコ氏は次のように表現する。
「各地域でバラバラなシステムを使っており、Excelベースの採用活動を行っているところもありました。そのため、採用マネージャーやリクルーターが、グローバルレベルで人材獲得の状況を把握することが難しくなっていたのです」
北米ではそれまで他社のSaaSベースの人事ソリューションを利用しており、Workdayに乗り換えた格好となる。その理由についてディマルコ氏は「WorkdayはHCMの基本的な機能だけでなく、リクルーティングなど幅広い機能を揃えていました」と説明する。
2017年に北米でHCMの中核となる基本的な人事管理機能(コアHCM)と基本的な報酬管理機能(コア報酬管理)のパイロット導入を開始し、好感触を得たことから全社でWorkdayを活用することにしたという。全社展開にあたっては、各地域拠点が持つ機能を考慮した上で、必要な機能を最適なタイミングを図りながら段階的に実装した。
コアHCMとコア報酬管理は18年にグローバルに拡大。19年にはグローバルでタレント/パフォーマンス管理を導入したほか、日本では学習管理、経費レポーティングの実装プロジェクトをスタートさせた。20年には人材獲得支援やオンボーディング(新規に採用した従業員を定着させ戦力にする施策の支援機能)の第1フェーズの実装プロジェクトがスタートし、翌21年にはAPAC(アジア太平洋地域)とEMEA(欧州・中東・アフリカ地域)でも実装を開始。22年には社内のスキルを見える化するスキルインテリジェンス基盤「Skills Cloud」もグローバルで導入した。
ディマルコ氏が所属する楽天の人事情報システム部門は、日本(東京)がメインのハブ機能を担い、北米(カリフォルニア州)とインド(バンガロール)を「シスターハブ」と位置付ける3拠点体制。3拠点の全てでWorkday活用に必要な人材などを整備し、楽天の従業員がいる30以上の国と地域をカバーしているという。「Workday導入が始まった2017年当時、我々のチームにはWorkdayの知識がなくWorkdayのスキルがある人材もいませんでした。コンサルタントやパートナーの力を借りながら社内に適切なスキルを持つ人材を揃え、チームを変革していったのです」とディマルコ氏は人事の体制を振り返った。
一連のプロジェクトにおけるハイライトの一つとしてディマルコ氏が紹介したのが、人材獲得支援モジュールの導入だ。WorkdayのコアHCM導入によりHCMデータの土台が整備されたことから、人材獲得にも活用範囲を拡大することにしたプロジェクトがスタートしたのは18年で、プランニング、設計を経て20年4月に第1フェーズの実装を開始し、1年1カ月をかけて完了した。
システムはバラバラで、地域によってはシステムがなくExcelで情報を管理しているところもあった。グローバルでWorkdayを採用活動の標準プラットフォームとして導入することで、人事や採用担当の従業員が容易かつ安全に関連するデータにアクセスでき、常に最新の人材獲得支援機能も活用できると考えたという。人材獲得の各ビジネスプロセスの効率化と自動化、さらには標準化を進めてアナリティクスを活用するという目標を掲げてプロジェクトをスタートした。
しかし、標準プラットフォーム導入にあたって壁が立ちはだかる。日本の独自の慣習である新卒一括採用だ。700人以上を採用する年もあるといい、標準プロセスに組み込むには無理があった。そこで、Workdayの拡張機能「Extend」を使って必要な機能を開発することで対応した。例えば、採用プロセスの中で幹部が行う署名作業は1クリックで完了できるようにしたという。「地域のニーズに対応しつつグローバルでプロセスを標準化することができました」(ディマルコ氏)と振り返る。
Extendについてディマルコ氏は、「簡単に開発でき、簡単に使える点が大きなメリットです」と評する。日本の新卒採用のための機能拡張だけでなく、過去の候補者や採用に関する履歴データをWorkdayから利用できるようにする機能もExtendで実装している。
人材獲得支援モジュールは、第1フェーズの実装で65%の従業員をカバーした。採用担当からポジティブなフィードバックが多かったことから、その後、4年がかりで他の地域への実装を進め、ほぼ全ての従業員をカバーするに至っているという。
ディマルコ氏はもう一つ、日本の人事の特殊性が関係したプロジェクトとして、高度な報酬管理機能を提供する「Workday Advanced Compensation」の実装プロジェクトも紹介した。コア報酬管理は既に北米と一部のアジア地域で実装を終えていたが、日本での展開にあたっては、日本の幹部の説得がちょっとした課題だったという。理由は、「日本固有のニーズややり方があったため」(ディマルコ氏)だ。例えば、直属の上司だけでなく部下や同僚など複数の立場の人が評価に関わる多面評価は日本独特の制度と言われている。人事制度でも降格/降給は日本独自だ。
そこで、システムを導入するだけでなくポリシーの変更も同時に進めた。日本がそれまで採用していた行動特性(コンピテンシー)ベースのポリシーから、行動特性ベースを残しつつジョブベースのポリシーを付加した「ハイブリッド」型のポリシーに移行した。ポリシーを移行することで、プロセスを変更し、Workdayへの移行がスムーズになるという狙いだ。
システム面では、Workdayだけでなくさまざまなシステムが混在した状態だった。「報酬決定プロセスの第一ステップである自己評価、最初のラインマネージャーの評価はWorkdayを使い、相対評価、報酬決定はExcelを使うというやり方でした。Excelの列は250に及ぶほど膨れあがっていました。給与システムや勤怠管理システムも日本独自のものが残っており、運用が複雑化していましたし、人事制度の中にも、昇進/昇給、降格/降給という独自のものがありました」とディマルコ氏は振り返る。これらを全てWorkdayに移行した。
全てをWorkdayで動かすことで、データの処理と安全性を改善したほか、監査対応の強化にもつながったという。ロジックをWorkdayに移し、UIとしてExcelを残すことで、手作業がなくなり、Excel側の処理速度も高速になった。現在は、Workdayのデータを使って給与計算や明細作成などを行なっている。また現在は、この土台の上で分析ツールの「Workday PRISM」を使った自動化にも取り組んでいるという。
Advanced Compensationの導入プロジェクトは21年6月にスタートし、2022年に第一フェーズが本番稼働となった。その後も、日本の人事評価サイクルに合わせて半年ごとに実装を拡大している。現在、第4フェーズが完了したところで、6500人をカバーしている。25年3月には、日本の全従業員、約1万4000人を対象にできる予定だという。
ディマルコ氏はプロジェクト全体を振り返りながら、成功の一要因としてチェンジマネジメントに最初からフォーカスした点を挙げる。「プレゼン、動画でのデモ、セッション、さらには直接コミュニケーションを取るなど、さまざまなやり方で、Workdayを使うことでどのようなメリットがあるのかを明確に幹部に伝えて説得しました」とディマルコ氏。評価と報酬管理のプロセスがデジタル化されることで業務の効率化が進み、楽天が目指すジョブ型への移行の準備もできる。幹部だけでなく、人事チームにもプロトタイプを通じてWorkday導入後の世界を体験してもらうことで、移行をスムーズに進めた。
ディマルコ氏らのチームは、24年から従業員支援にフォーカスを移し、人材開発とタレントマネジメントにフォーカスした取り組みを進めている。スキルベースのアプローチへの移行、従業員のキャリア管理などに加えて、従業員自身がキャリアを前進させる機会をデジタルで発見できる仕組みなども用意する計画だという。
実際の施策としては、職務に必要なスキルを明確化するジョブプロファイル、従業員レベルでスキルを明確にするキャリアプロファイル、学習コンテンツとスキルの紐付け、採用活動での職務要件とスキルのマッチング精度の向上などに取り組む。これにより、AIが適切に情報を分析できるようにすると見込む。楽天独自のAIや「ChatGPT Enterprise」などのAIも活用する予定だ。
「楽天の事業は増えており、組織構造が複雑になっています。それに伴い、従業員が社内にどのような機会があるのかを見つけづらくなっているという課題が顕在化していました。Workdayを活用することで、現在の職務に必要なスキルを持っているのか、次のステップに行くために足りないものがあるとすれば何か、といったことが従業員自身で明確に把握できるようになります」
このプロジェクトは25年10月に本番稼働を目指している。HCM領域での楽天グループのジャーニーはまだ続いている。