日産自動車が、データを活用した顧客体験の向上に本腰を入れている。コロナ禍を境に変化した顧客の購買行動に対応すべく顧客データプラットフォーム(CDP)を導入し、分散して管理されていた顧客に関するデータの一元的な管理と、顧客ごとのニーズに合わせたオムニチャネルでのアプローチ最適化を図っている。成約率の向上など、具体的な成果につながった日産流のデータ活用基盤整備を探った。
あらゆる購買行動でオンラインが果たす役割は拡大している。それでも高額な買い物は実物を見て決めたい、信頼できる担当者から買いたいと考える人は少なくないだろう。自動車もまさにそうした商材の一つだが、コロナ禍を契機に、購買プロセスにおけるオンラインの比率はさらに高まったという。日産自動車Japan-ASEANデジタルトランスフォーメーション部主担の北原寛樹氏は次のように説明する。
「お客様が車の購入を検討される際、オンラインで情報を収集するのはもともと一般的ではありましたが、検討の比重が店舗での商談にかなり寄っていました。ところがコロナ禍でお客様がなかなか店舗に足を運びづらくなり、対面での商談の心理的なハードルが上がったこともあり、オンラインでの検討がより大きな比重を占めるようになってきました」
こうした変化に合わせ、日産は顧客に適切なタイミング、適切なチャネルでのタイムリーな情報提供を目指した。しかし、大きな障壁となったのが、顧客に関するデータが分散していることだった。顧客の基本情報、顧客が購入・保有している車の情報、さらにはメールマガジン会員のWebへのアクセスログや、SNS、メールなど、さまざまなデータがシステムごとのデータベースでバラバラに管理されていたという。「お客様がどういったことに興味関心があって、どんなニーズがあるのか、分散したデータを人力でつなぎ合わせながら分析していたため、非常に手間がかかっていました」と北原氏は話す。結果として、マーケティング施策の企画や実施に時間がかかり、タイムリーに手を打ちづらいという課題を抱えることになった。
当時、既に先進的な取り組みに着手している競合他社もあった。例えばSUBARUは、オンライン、オフラインを問わず、さまざまな接点での顧客体験の分断にいち早く危機感を持ち、顧客データの統合的な管理基盤や共通IDの整備などを進めてきた(関連記事)。北原氏も「SUBARUさんはデータ活用の高度化や、それに必要な基盤整備も進んでいて、我々は遅れていると認識していました」と振り返る。
そこで日産は、2022年、日々変化する顧客のニーズや購買行動に迅速に対応し、パーソナライズされた顧客体験を提供するための仕組みづくりに着手。そのキーソリューションとして、顧客データの統合管理基盤となるCDP(Customer Data Platform)を導入した。
CDPの導入はビジネス部門が主導。製品選定ではマーケティング領域の実績、導入時と運用段階を含めたトータルのコスト、本稼働までに必要な期間などの観点で複数製品を比較し、最終的にトレジャーデータの「Treasure Data CDP」を採用した。予算と期待できる投資対効果が同社の基準を満たしたことに加え、「弊社の環境に取り込むまでのリードタイムの短さも評価しました」と北原氏。Treasure Data CDPはコネクタが豊富で、日産が使っているCRMやMA、BI、AIプラットフォームなどと接続しやすい環境が整っており、「早く使いたいというニーズに合っていたことも大きなポイントでした」と説明する。
22年後半から23年初頭にかけてTreasure Data CDPの導入を進め、23年春には本格的な活用フェーズに移った。顧客の基本情報やオンライン、オフライン両方の行動データをCDPに蓄積・統合。顧客のグルーピングやAIによる購入意欲のスコアリングを行った上で、それぞれの顧客の関心や意向に合わせたメールマガジンを配信するなどの施策に取り組んだ。その顧客がどんな車種に関心を持っているのか、車選びで重視するポイントは何なのかなど、複数の軸でニーズや関心をスピーディーに把握できるようになり、より立体的で解像度の高い顧客理解につながっているという。北原氏は次のように解説する。
「例えばセレナというミニバンを例に取ると、大きくて利便性が高く、車内でのコミュニケーションが弾むという基本的な提供価値だけでなく、遠出のニーズに応える高速道路での自動運転支援機能や、充実した安全装備など、付加価値がどんどん増えています。ただ、セレナを求めるお客様がその全てを必要としているとは限りません。そこでCDPを活用した分析が効いてきます。お客様が弊社のホームページのどのページをよくご覧になっているかを分析すると、セレナのどこに魅力を感じておられるかがある程度把握できます。それに合わせて、シートアレンジの柔軟さを訴求したり、ユニークな後部ドアの使い勝手の良さを訴求したり、といったことができるようになっています」
こうした情報やAIによるスコアリングを含む顧客の分析情報は、販売店にも「ヒントカード」という形式で共有している。日産のWebサイト上でどんな内容の見積もりを取得したのか、さらには残価設定型クレジットで日産車を購入した顧客であれば、新車に乗り換えるのに有利なタイミングはいつなのかなど、きめ細かい商談に必要かつ販売店側が普段の活動の中では把握しづらい情報も盛り込んだ。
2024年4月から8月にかけて実施した販促キャンペーンでは、AIスコアリングで新車購入意欲が高いグループの成約率が43.6%だったのに対し、低いグループの成約率は5.1%にとどまり、8倍以上の成約率の差が出た。日産における顧客データ分析の精度の高さを示す一例と言えそうだが、北原氏も顧客満足の向上と営業の効率化につながっている手応えを感じているという。
「車の商談は時間も長く、疲れるという声を多くのお客様から頂戴しています。お客様が求めておられる情報を事前に把握して商談に臨むことで、そもそもニーズに合致しないものを提案する場面も減ります。結果的に商談時間の短縮にも寄与できていると考えています」
日産のような巨大組織では、当然ながら社内の複数の組織が、さまざまなITベンダーと連携しながらプロジェクトを進めることになる。Treasure Data CDPの導入にあたっては、データソースからCDPに接続してデータレイク層を整備する段階までは情報システム部門が担当したが、データマートを構築し、データを用途別に活用できるようにするフェーズはビジネス部門が主導。複数のSIerと連携しながら進めた。さらに、Treasure Data CDPの導入、活用などを包括的に支援するコンサルティングパートナーとして、インキュデータからの支援も受けている。
「当初は我々もCDP、トレジャーデータ製品の基礎知識がかなり乏しい状態でした。CDPを活用してやりたいことを実現するためのスキルとノウハウの面で、インキュデータに支援してもらった形です」と北原氏は話す。顧客データ分析の仕組みづくりは日産の既存業務を深く理解しているSIerが主に担い、CDPやTreasure Data CDPの運用やナレッジはトレジャーデータが補完する体制を組むことで、ビジネス部門がプロジェクトをしっかりグリップした上で、当初の目的に沿った顧客データ分析基盤を整備できたという。
日産のCDP導入・活用が成果につながっている要因を、プロジェクトを支援する立場からはどう分析するのか。インキュデータ ソリューション本部データプラットフォーム部プリンシパルコンサルタントの末留辰也氏は「二つのポイントがあります」と指摘する。
「一つはやりたい施策を具体的にリストアップし、それに必要なデータは何かを逆算するアプローチを取られていることです。いろいろなデータをとりあえず集めてみましたというのはよくある失敗パターンですが、日産の場合はそうではなく、CDPに取り込むべきデータをビジネス部門が特定してリクエストされている。それがビジネス上の成果に直結するデータ基盤構築につながっています」
「もう一つのポイントは、DXのチームに一定のエンジニアリング力があり、ビジネス部門がCDPを直接コントロールできる形で運用されていることです。そのためのパートナー(SIerやインキュデータ)との協業関係もビジネス部門独自で構築されています。あらゆることを情報システム部門に依頼していてはスピード感が失われてしまいます」
今後はデータ活用の高度化をさらに進める。目下の課題は、データ品質の向上だ。「データを詳細に見ると、部分的に欠損していることがあります。全体の傾向を分析するという前提であればそれほど問題はないのですが、One to Oneでパーソナライズされた顧客体験の向上を目指す上では大きなリスクですので、データの品質をより高めていく必要があると考えています」(北原氏)
AIの活用も重要テーマだ。CDPのデータソースはどんどん拡充しており、顧客データが統合的に管理・活用できるようになったとはいえ、人力での分析には限界がある。将来的には顧客のニーズや状況に応じた提案を自動化できる仕組みを実現したい考えだ。北原氏は「ビッグデータとAIを活用したトライアルをいろいろな形で進めています。究極のパーソナライゼーションを実現したいですね」と意気込む。